はじめに

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                  『内観』

 9月、内観という心理療法を受けました。大きな問題を抱えていたわけではありませんが、漠然とした孤独感や不安、不信、満たされなさに、幸せってなんだろうと思う自分が心の隅にいました。どのような境遇になっても、生きる意味を感じ、幸せを感じていたいと思ってきましたが迷うばかり、知
人から内観の話を聞いたとき、直感的に「これだ!」と思いました。
 内観は、仏教の「見調べ」という修行法から宗教色を取り除いて、自己探求、自己反省する方法です。方法は単純。ついたてで囲んだ半畳の空間に座り、「してもらったこと」、「して返したこと」、「迷惑をかけたこと」を、お母さんから始まり身近な人に対し、小学校低学年ぐらいから順を追って思い出すのです。2時間ごとに指導者が来て、合掌し深々とお辞儀をしてくれたあと「何をお調べになりましたか」と尋ねてくれ、それに答えます。これが朝6時から夜9時まで一週間続けられます。
 初日、たいしたエピソードも思い出せません。気持ちは焦ります。2日目、両親へのエピソードは出てきても、「私のしてほしかったものとは違う」といった不満が出てきて、指導者に「相手の立場になってみましょう」と言われて、私の内観は変わりました。私がほしかった接し方でなくても、両親は一生懸命私を育ててくれたし、周囲の友人たちもその時々で手を差し伸べてくれていたのです。
「人生に孤独を感じるのは、食べ物が一杯あるのに食べたいものではないといって拒否し、お腹がすいたと言っているのと同じです」と後で指導者が言っていました。私は、なりたい自分、ほしい理想を追い求め、日々周囲にある小さな出会いや体験、与えられた愛に気づかずにいたことを通感じました。そして、私はそんな自分を「自分の嘘」を調べていく中で嫌と言うほど見ました。我が強く、見栄っ張りで、「私が〜」と思ってきた自分の人生がとても恥ずかしくて、途中内観することが辛く、帰りたい気持ちでした。しかし、こんな欠点だらけの自分が今まで多くの人に支えてもらい、生きてこられたということに感激しました。
 後半の内観では、してもらったことが山の様に出てきます。最初、母から祖母の介護を任せられていたことを「母にして返したこと」にあげていましたが、最後には、「祖母の介護を通じて、介護者の家族を理解できるようになり、ナースとしての幅が広がった」と「母にしていただいたこと」に変化したのは自分でも驚きでした。迷惑かけたことも山のように出てきます。長期旅行なども、最初「旅をしたことで自分の視野は広がった」と思っていましたが、最後は「両親や友人は、やはり心配したんだ。その事実は忘れてはいけない」と迷惑をかけたことになっていました。
 こうして見てみると、「して返したこと」など何もないのです。私は、人から与えられるばかりで、お世話になって生きていると思い、何か人に返せることはないかと素直に思うようになりました。
 内観後、初めて両親を食事に招待しお礼を言いました。友人達に、お礼の品を用意しました。
 ナースの仕事も、以前は「してあげる」という気持ちが何となくあったのでしょう。でも、今は「多くの人にお世話になって生きている自分が、人に何か返せる機会を頂いている。こういう仕事につかせてもらってありがたい。」そんな気持ちが芽生えました。
 アフリカに対しても、なにか支援をしたいと思ってきましたが、内観後はその思いを強くしました。彼らが、経済的に貧しくかわいそうだからではありません。「旅をしアフリカが私に教えてくれた素晴らしい体験に対し、少しでも恩返しがしたい。そして、その文化を後の世代までも伝えていってほしい」と思うからです。上から下の支援ではなく、身近な人の肩を抱くような、ともに生きていく支援がしたいのです。
 私が行えていること、私が出会うもの、すべて神が私に与えてくれていることです。世界に抱きしめられている自分を感じます。私はただ素直に、すべてのものに、感謝したい。そして、自分を振り返り反省し、思いやりを持って自分のできることを探して生きたい。
 内観は、私に幸せは目指すものではなく、常にいまここにあることを感じさせてくれました。 ありがとう。


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