はじめに

最新号

「感覚と思考」

旅を終え日本で生活するにあたり、私は15年ほど習慣としていた日記をやめました。日記は、その日の自分が何をして何を考えたのか、分析し言葉にし、自分に言い聞かせているだけのものに思えたからでした。
  私たちは、物事を科学的に分析するように教育されてきました。科学的思考とは、理にかなうこと、原因があって、その結果、現象が起こるのだから、原因を究明し対処しようとする思考。これを物質に対してのみならず、人間の精神、感情、生き方、運命にさえも「なぜ、どうして」と、私たちは問うてしまう習慣を持つようになったと思います。
  思考は、過去の経験に基づいた知識を用いて分析する方法でしょう。過去の知識、体験、伝統などが比較材料でしょう。私たちが生きて感じているのは、一人一人の今、その瞬間にあるのに、これを過去の情報の中で捉えるということに真の姿があるでしょうか。思考は、ひとつの傾向を示し、枠付けしているにすぎません。
  こうして日記には、今日生きた真の自分はないと思いやめたのでした。
  私は、真理は感覚の中にこそあると思うようになりました。
  朝の太陽の光、鳥のさえずり、草木の緑、風の冷たさ。それら外的環境から受ける言葉にできない充足感や安らぎ、または予感、ざわつき。そう言った感覚の中にこそ、物事の真実の姿が見え、自分の生き方を決めるものを含んでいると思うようになりました。
  本来、人間はもっと感じ取る能力に溢れたものではなかったでしょうか。空間、時間を超え相手と意思疎通できるテレバシーという能力、触覚や知覚から相手の意志を感じ能力、気配や前兆、直感により環境の変化を感じ取る能力など、人間はそういった感覚から得られる能力を持つのではないでしょうか。その中でこそ、歪みなく自らの外的環境である自然や他者と会話し、自由に平和に生きていけるのではないかと思います。
  現代に生きることは、情報に溢れ、言葉、思考に支配され、感覚は衰退の一途です。感覚の中に眠る真理を、感じ取る能力を信じて、生活して行きたいと思っています。



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