はじめに

最新号

「あるがままの私」と「あるべき私」

  2001年9月、中国の西域、喀什(カシュガル)にて、キルギスタンへ向かう予定の2日前に、私はアメリカとアフガニスタンとの間で戦争が起こりそうだというニュースを耳にしました。
  中央アジアへの旅は、私が何年も暖めてきた計画でした。しかし、国境の開閉も不安定になったこの状況で、中央アジアへ飛び込む危険性も感じていました。悩む私に「招かれていなかったんだよ。旅は招かれた地へ流れていくものだよ。」と言ってくれた日本人旅行者の言葉に、私は時間をかけ夢見て綿密に練った旅の計画書を捨てました。自分の計画に沿って、切り開く旅ではなく、その時点で行ける所、行きたい所、私を受け入れてくれる地へ行き、好きなだけとどまり、穏やかに楽しく旅をしようと思い立ったのです。そして、予定にもなかったアゼルバイジャンへの航空チケットを買い、飛んだのでした。
  日本において私は、これが欲しい、こうなりたい、時にはこう見られたいと「あるべき私」に「なる」ことを目指して生きてきたように思います。
  しかし、自然界の植物を見れば、常に季節は移り変わり、天候一つでも彼らに制御できるものがあるでしょうか。変わり行く環境の中を、彼らはその時々をただ生きています。
  人間も自然の一部です。個人個人のなかに、自然な流れを持っているはずです。その自分の自然が保たれ、その中で生きる時、無理なく楽しく穏やかに、人はその時々を幸せに生きられるのではないでしょうか。
  私は「あるべき」偽りの自分に「なる」行き方を捨て、「あるがまま」の自然な自分で「ある」行き方をして、今を生きて行きたいと思います。



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