日記

2008〜2009年

以降はブログ



2004〜2007年のバックナンバー

          


6月10日 直傳霊氣を取りました

今月に入り、直傳霊気を修了しました。 http://www.jikiden-reiki.com/

霊氣とは、宇宙(太陽)からの靈氣(エネルギー)を受け取り、施術者(ヒーラー)が自分の身体を通して増幅し患者に与える作業で、未知なるエネルギーによって患者自身の持つ自然治癒力を目覚めさせるために手を当てたり、かざしたりする療法です。
海外から逆輸入のレイキという、ヒーリングは有名ですが、直傳霊気は日本生まれの数少ない治療を目的とした霊気を学べるところです。

看護という文字も「手で見て、護る(まもる)」という意味なのです。
看護学生のころに先生に患者に手で触れて、感じて、患者の治癒力を支えられる療養環境を提供しなさいと、よく言われました。
今の知識、分析、数字重視の看護学や、今の病院における看護も、科学的、合理的になりすぎでそういう原始的な看護の心を失ってしまいました。
頭痛があるならその原因、血糖値や血圧が上がるならその原因があるはずです。でも、今の一般的な医学は原因を取る除くのではなく、薬を使って数値を下げるのみ。そのような対症療法の積み重ねで、薬漬けで体の自己調節機能を失ってしまった人を多く見てきました。

霊気は、その人の自己治癒力に語りかけます。自然が与えた本来の自分に戻るのを、助けるのみです。
手で患者の体に触れると、悪い部分に熱感やビリビリとした感覚を感じます。触れているうちに、それは取れていき患者の体からも痛みが取れていきます。
そして、何よりも患者も施術者も気持ちが良く暖かくなります。
人と人との触れあいで、病気は治っていくのです。自然の力は偉大です。

霊気を知ったとき、「手当て」という日本古来からもつシンプルな治療法に、経験を積んで、こういう治療法で人々の健康を支えて生きたいと思いました。


2009年
6月10日 
直傳霊氣を取りました
5月30日

パシパミレジャパンツアーを終えて
1月27日
ジンバブエへ

2008年
12月30日

ムビラ教本完成
10月16日

パシパミレCD完成
9月26日

高知県土佐清水の旅
8月13日
自然な野菜が食べたい
7月22日

ミミズのすすめ
5月15日
着物の稽古を再開
4月22日
生きるために野に出よう

5月30日 パシパミレジャパンツアーを終えて

4月1日来日を果たしたルケン・クワリ・パシパミレ氏は全国14箇所の公演を終え、5月1日に無事帰国しました。
  ツアーの様子はこちら

2008年に閃くように、パシパミレを日本に連れて行きたいと思いました。ムビラ奏者の招聘は、これまで前例もなくそれは突拍子もないことのように言われました。でも、私の中には、何かしなければならないと、不思議な確信はありました。1年準備して、準備の中で、協力者が見つからなかったり、パシパミレのパスポート、ビザの取得に不安があったり、資金面の不安、多くの壁を感じながらどうにか計画を進めていきました。
来日したパシパミレ氏とのツアーの間も、移動、宿泊、資金的な管理、演奏と自分の手にあまる仕事量をどうこなしていけばよいのか、混乱してみたり、疲労してみたり。でも、どうにかツアーは進み、多くの場所で暖かい皆さんの歓迎を受けました。
何もかも完璧ではないです。終わったときは、疲労困憊でした。今その中で、実行でき成功できたことを思い、多くの人の協力してくれたありがたさを噛み締めています。
多くの人が本物のムビラに触れてくれました。すごいことができたと思っています。
でも、これは私がしたのではなく、何かがさせてくれたものなのでしょう。

私はこのツアーを終えて、理由は考えることなく、すべきだと思ったことは、したほうがいいなあ、と思っています。成功する確立や、評価や、そういうことが重要なのではなく、自分の魂の中からの「しなさい」という導きの声に従って、行動すれば多分すべては良き方向へ行くことでしょう。
魂の声に従うことは、勇気が要ります。
声を感じる感性は私だけのもの。
他の人には感じなものなのですから、他人の理解は求めてはいけないでしょう。
でも、私はこのツアーを実行するときに、仲間に言いました。
「私もパシパミレも明日生きているかは分からない。生きている今、できる今にしないでどうする。時期はもうないかもしれない。」と。

今をただ生きるのみなのが、人生だと感じています。



1月27日 ジンバブエへ

昨年のムビラ修行から1年にわたって準備してきたルケン・クワリ・パシパミレ氏を招聘する「ジンバブエ・ムビラ文化国際交流プロジェクト」のために、28日からジンバブエに行ってきます。

このプログラムは、昨年私がパシパミレ氏の家に住み込みで修行していたおり、「自分はこの10年数え切れないほどの日本人にムビラを教えてきた。弟子たちに会いたい。エリカたち弟子が、真剣にムビラを日本に広めていることを支援し、ムビラ文化を日本に見せたい。」とパシパミレ氏の強い要望を聞かされ、まだまだ日本でムビラは普及し切れていないけど、できる限りのプログラムを練って、彼を招こうと決心したことから始まりました。

多くの方の知恵と協力を得ました。
電話をするといつもテンション高く日本に行くことを熱望した師匠の気持ちにも支えられました。
そして、13箇所のライブとワークショップを組むツアーが整いました。

今、ジンバブエは2億%インフレという状況で、昨年以上の悪環境が想像されます。
こんな時だからこそ、ジンバブエのショナ人が長い間引き継いできた祖先崇拝の文化を代表するムビラ音楽を日本に届けて欲しい。強く、明るく、しなやかに生きてきた彼らの生き様を感じて日本に伝えて欲しい。
ショナの文化と古来の日本の文化は良く似ています。ムビラの中に、人類の根源としたつながりを感じてもらえて、人類がひとつであることを伝えて欲しい。

聖なる楽器ムビラというものは、音楽を媒介に宇宙の大きなエネルギーと一体になって、人間というという自然の調和をはかる力があるように感じています。
儀式を通じて、パシパミレ氏と生活と音楽を共にする中で、ムビラの伝統を重んじてきた人々のエネルギーの強さ、明るさ、感性の鋭さに、この楽器はすごい力を秘めていると確信しています。

そんな強いモチベーションの中、ビザ取りなどのプロジェクト準備とムビラ修行をして、私の愛するジンバブエそのものを楽しんでくる予定です。

4月にお会いしましょう。
そして、是非ツアーに参加して、パシパミレ氏とムビラ音楽を感じてください。



12月30日 パシパミレ・ムビラ教本完成

年内ぎりぎりセーフで、ムビラ教本が完成しました。

Textbook of traditional Mbira dzavadimu Shona people in Zimbabwe
「Luken Kwari Pasipamire Song Book」
ルケン・クワリ・パシパミレ氏教本 
ジンバブエ ショナ人の伝統的なムビラの演奏

CD「MONDORO」に収録された伝統曲12曲のクシャウラ、クチニラ、合奏がそれぞれ楽譜として表され、CD2枚、DVD1枚が添付されています。
2007年12月から2008年2月までのジンバブエムビラ修行の最大の使命は、この教本の製作でした。
2006年1月から3月のジンバブエ修行時習った曲に磨きをかけ、新しい曲を足して厳選した12曲です。
パシパミレ家の庭先で、習った曲を楽譜にして指の順番、ホーショウの位置を数字に表していました。ショナ人は、耳と目だけで師匠のムビラを覚えて行きます。最近は、師匠も他のムビラ弾きも日本人が数字化することを知りましたが、でも毎回不思議そうに師匠は見ていました。
歌詞がショナ語と日本語で書かれています。歌は、祖先への語り掛けです。祖先の魂が歌わせているようなもの。儀式のその夜、何を歌ったかなど覚えてはいないそうです。この楽譜を起こすときも、毎回録音の歌を聴いてもらい、それをショナ語で書いてもらい、師匠夫婦、近所の人の手も借りて英語に訳してもらい、それを私が日本語にするという手順を踏みました。歌詞を読んでもらうと、ショナ人の生き方、考え方が少し伝わると思います。

イラストは、すべて私が描いています。
ジンバブエの人々の生活を思いながら、描く日々は楽しいものでした。
絵は、私にとって憧れの世界を表現するもの。
恍惚とした儀式の音、酒の味、大きな空、広がる草原、美しいジンバブエの工芸品たち。私のジンバブエへの愛が表現されていると思います。

DVDには、パシパミレが祖父クワリ・パシパミレのムビラと自分の家族の誇りについて語るメッセージが収録されています。彼の肉声と、ムビラが彼らの脈々と続く歴史の中で生き抜いて、今日本にもあることを感じて貰いたいと思いました。
ムビラが儀式の楽器であることと農村の生活を感じてもらいたくて、グウワの儀式を収録しています。彼らが手順を追って、祖先に語りかけながら、儀式を進めていく様子に、一緒に参加していて感動していました。
最後にパシパミレの振るホーショウの様子が入っています。ホーショウは、本当に難しい。ホーショウの振り方を理解するヒントになればいいと思いました。

こうして、念願の教本が完成すると、ムビラに出会ってからの6年とパシパミレと過ごした日々、ムビラをめぐる日本での友人たちとの日々、いろいろ思い出されます。
私を支えてくれた数え切れない多くの人に感謝の思いが湧き上がります。
あの手この手でムビラを日本に伝えたいとやってきました。
そしてこれからも、ショナ人を何百年も癒してきたムビラ音楽は、日本人の魂も癒していけると信じて、ムビラ音楽をやって生きたいと思っています。

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10月16日 パシパミレCD完成

師匠ルケン・クワリ・パシパミレ氏と私のムビラの合奏に、ルケン氏の妻バイオレットのホーショウを加えたCDがようやく完成しました。
タイトルは、Pasipamire Mbira songs「MONDORO」
タイトルもルケン氏の希望に沿いました。

この2007年12月から2008年2月までの3ヶ月間、ジンバブエの首都ハラレのルケン氏の自宅で共同生活をして、自宅や野外で録音し、作成されました。ルケン氏は、十分練習をし、歌も合奏もそして心が祖先と結ばれないとレコーディングになりません。計画的にレコーディングを進めようとする私に何度も「物事にはやるべき時がある」といい、突然夜暗闇の中でレコーディングだったり、すると言ったのに、明日だといわれた夜もあり。ほとんど一発取りで、師匠のスピリットが感じたそのときにのみ、録音できたものです。3ヶ月で12曲、最後の日までかかりました。

12月モンドロで行われたムビラの儀式guva(グウワ)での演奏も収録しました。
儀式では、踊っている皆の興奮した声が大きく、ムビラの演奏とバランスよく取れずに苦労しました。その皆の高揚感が伝わると良いのですが。

このCDは、2台のムビラにルケン氏の歌というシンプルなムビラ演奏スタイルになっていますが、ルケン氏のもつ多彩な変化と渋い歌声は、すばらしいムビラの伝統を表現できていると思います。

草原の広がる台地に放牧と農業で暮らす自給自足の生活の中で、先祖代々築いたショナの文化は、白人支配、独立戦争、経済政治の混乱と波乱に満ちた歴史を持ちながらも、彼らの心をつなぎ、生き続けてきました。
伝統は西洋音楽の影響を受け変化していきます。
今年はルケン氏とヨーロッパ公演もしたムデも他界しました。
ムデの葬式に出ながら、ルケン氏の世代も多くの者が亡くなり、彼の高度な演奏技術と、言葉として語りつながれる昔話、歴史、教えなど、彼の存在は今やなんと貴重なのだろうと思いました。
そして、大自然や祖先の魂たちと結びついて生きていく、彼らの文化が持つ豊かさは、現代社会にこそ大切なものだろうと、日本で暮らす中で思いました。

今、ジンバブエでは、経済困難の中で国内でも新作のCDの製作が滞ったり、流通が少なくて入手しにくい状況にあります。
日本の人に、ムビラ文化を紹介する意味でも、このCDがお役に立てればと思うのです。

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9月26日 高知県土佐清水の旅

5日間ほど、高知県土佐清水市でムビラの紙芝居を持っていって来ました。

ことの切っ掛けは、今年の5月ごろ、横浜市立病院に勤務していた時の同期の親友が、土佐清水に帰って暮らしていて、地域の新聞の「ムビラを作って自給自足の生活をするIターンのイマイさん」の記事を送ってくれたことでした。
イマイさんの作るムビラは「創作カリンバ」だが、ムビラと名付けていて、土佐清水に住んでいて、これは縁があるぞ、私はムビラをもって親友に会いにいけるかもしれないぞ、と勝手に私の妄想は進み、「土佐清水市宗呂」しか住所は分からなかったが、あの辺は過疎が進んでいるから多分届くと踏んで、初対面なのに思い切って手紙を出してみたのでした。イマイさんにとっても衝撃的で胸に響いたらしく、すぐ電話をくれて、小学校2校と地域のお祭りで紙芝居のパフォーマンスをする企画を働きかけてくれて今回の旅の実現となりました。

やるべきことは、こうして不思議とうまく進んでいくのです。どんなに周到に準備してもうまくいかないときもあるのに。うまくいかないときは潔く次の機会を待ち、うまくいくときは自分の直感を信じて進むべきなんだと、今回のことでもよく感じました。


イマイさんの自宅の家賃は5千円だそうです。台所はかまどになっていて、外で七輪でも料理が出来る、お風呂もソーラーシステムと薪でも焚けるようになっていました。薪は、イマイさんが裏の山から取ってくる。燃料代はいらないのです。ジンバブエでは、昼でも焚き火をして人を迎えてくれる。そんないつも焚き火が出来るというのは当然のことなのに、都市の不自然さを感じてしまいます。
畑と田んぼ持っていて、太陽の恵でどんどん育ちます。。
現金収入を作るのが難しいが「飢えはない」と話してくれました。自然に囲まれて暮らすことを目指してきたが、生活が成り立たず都市へ断念して帰る人も多いのだそうです。厳しい現実もあります。
しかし、お金は所詮偽者。私たちは生きるために食べるのであって、食べるために生きているのではない。 「食べるものがあれば、生きていける。暮らせるだけこの地で暮らしたい」とイマイさんは言っていました。原始的な人間らしい生き様を感じました。

横浜では、庭木を剪定してもゴミになり、何もかもゴミだらけ。しかし、イマイさんの家では、トイレの排泄物は畑の肥やしに、トイレの紙はバケツにためてお風呂の焚きつけに使っていました。ゴミなどあまり出ないようでした。人間は、自然の恵のなかで自然の循環の中で、こうやって暮らしていけるんだ

人間として健康に暮らしていくことに自然の懐に抱かれることは、不可欠だと最近思うことが多いです。仕事においても、私は看護師のくせに最近の人工的、科学的なことに偏った医療に反感が膨らんでいきます。
どうやって外の自然の力を借りて、内なる自然の力を維持して、健康に暮らしていくかが医療にも普段の生活にも大切なのだと思うのです。

今回の土佐清水の旅は、すばらしいひとつの生き方を見せてくれました。


田んぼでのイマイさん
後ろに小さく見える屋根が自宅。

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8月13日 自然な野菜が食べたい

今年の春、庭の畑にサトイモを埋めました。しかしサトイモは芽を出さず、代わりに冬の間にゴミの中に混じっていたかぼちゃの種のほうが、芽を出したらしい。そのままにしておいたら、スクスクと育って、見事な黄色い花を咲かせた。実を期待して待っていました。しかし、その後は何も残さず自らさっさと枯れてしまいました。
これがF1(一世代にのみの植物として操作された)の食物なのか。
こんなものを食べているから、私たちの世代は子供を少ししか残せないのだろうか?生きていく力が弱いのだろうか?
食べることは、まさに生きることそのもの。
枯れていくかぼちゃを見つめながら、非常な恐ろしさを感じました。

私は、在来種の種の植物を育てようと強く思いました。
在来種とは、簡単には古来からある人間の手によって加工されていない種をいいます。昔ながらの野菜です。
今、秋蒔きできる野菜の種を物色中です。
インターネットでも在来種の種は買えます。園芸店で売っている一般の種は今やF1がほとんどのようで、今や古来からの種は捜し求めなければ入手できないのです。
在来種の種は、無農薬、無肥料でも育つ生きる力が強いらしいです。そして、自家採種もできるようです。

F1について初めて考えたのは、2年ぐらい前、ジンバブエの農業支援をしてるDADAの講演を聴きに言ったときでした。
ジンバブエでは、数年前までF1(ハイブリット)の種を政府が推奨していたようで、F1は、化学肥料を使い大量に採取できるし、今やほとんどの人がF1を使っています。しかし、ジンバブエでは、近年毎年のように旱魃と極度のインフレが続いており、食料が足りない、資金がなくて農家は種を買えないという状況が恒常化しつつあります。そのような中、毎年種を買いなおさなくてはならないハイブリッド種から、収量は低いが種を自家採種できる在来種を生産しようとする動きがあり、在来種のメイズ(トウモロコシ)の種を育て保管しているジンバブエのNGOにDADAは支援をしています。
http://homepage3.nifty.com/DADA/grenary1.htm

「種を制するものは世界を制す」つまり全ての種をF1にすれば、農家は毎年種を買い種屋の設定した価格に食物は左右されます。人は野菜なしに生きてはいけないので、種を加工する企業に食べ物の価格は支配されてしまうのです。そして、食べ物の品質も・・・人間の健康も・・・。
ジンバブエも日本も、F1をめぐる問題は一緒なのです。


人間が自然を支配しようとして、人間の中の内なる自然も壊しています。そして、私たちは子孫を残せず、生きる力が弱く、心身ともに病気がちになっていきます。
自然環境も内なる自然も、人為を廃してもとの姿を取り戻さなければ、私たちには未来がないと危機感を感じる最近なのです

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7月22日 ミミズのすすめ

私は5月ごろより、ミミズを飼い始めました。
きっかけは、兄が昨年からミミズを買って飼育し始めていて、兄の引越しと共にそれが実家に放置されていたことでした。ミミズは1kg、1万円ぐらいで販売されているようです。
家では、毎日大量のゴミが出ます。冬の間は、庭に埋めて生ゴミを出来るだけ処理しますが、暑くなるとハエや猫が来て埋められないし、小さな庭で埋める場所も十分にありません。生ゴミぐらい自分で処理したいと思って、自己流でプランターに土をいれミミズをその中に放して、ミミズを飼い始めました。
2ヶ月ほどたった今、我が家には5つの25cm×80cmぐらいのプランターがあって、ミミズたちは子供を生んで増えていき、生ごみはほぼ100パーセントミミズが食べてくれています。
このプランターは、網目の下敷きがついて2層式になっているので、ミミズの尿である液肥も溜り、通気も湿潤もよく、なかなかの良環境です。専用のミミズの飼育ケースも売っているようですが、こんな安い材料でも飼えるのです。そして私のプランターは、実家や祖父母が残したもので、5つのプランターは祖父の古い盆栽棚に縦に置かれていて場所もとりません。
今では、市に回収してもらうごみは、燃えるゴミは紙類がほとんどで腐らないので週1回とプラスティックの週一回ぐらいです。こうしてみると、紙とプラスティックのゴミの多さが目立ちます。プラスティックのケースや袋、広告の紙、ゴミになるものを極力避けるようになりました。

ミミズと暮らして知った、地球の循環の中に自分があるのだという実感。私の出したゴミは、ミミズが食べて、ミミズの糞は肥やしになって私の畑に蒔かれ、畑の野菜は実って、また私の栄養になって、廻っていく。生きているということは一人じゃないということを感じる暖かさ。

多くの知り合いたちにこのミミズの飼育をすすめているのです。
しかし、「気持ち悪い〜」と言われてばかりです。ミミズの家の中には、自然にナメクジもダニもウジも出現してきます。少々のハエもいます。でも、それが自然というものでしょう。人が生まれるのも死ぬのも、生きるのも、臭い排泄物を出しながら在るのです。自然であることは、ただ綺麗なわけはないのです。そうやって汚物にまみれながら一生懸命生きるから、人もミミズもみんな美しいなあと私は感じてしまいます。

今、私は生ゴミを毎日ミミズの家にあげにいくことが日課になりました。毎日、ミミズの家の土を耕し、元気かな、良い環境は保たれているかな、と観察しています。
消えていくゴミを見ながら、神秘的な大自然を感じて心が温かくなります。


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5月15日 着物の稽古を再開

ムビラの修行を進めショナ文化を知れば知るほど、日本人としての伝統を知っておきたい気持ちに駆られます。 交際的であるほど、私の中の日本をしっかりと引き継ぎたい。

私の実家は、呉服屋でした。母屋と呉服店はつながっていて、いつも身近にあった反物たち。 中学生のころは、母に毎週半強制的に着付けの稽古をさせられましたが、反抗して中途半端でした。
祖母が他界や病気になりたくさんの着物が残されています。母の物も私の物も実家にたくさんあります。この美しい着物たちを私は引き継がなければならないのに、今の私には技術も知識も中途半端にしかない。

昨年父が他界し、先週一周忌も終わりました。母は、今年還暦ですが、人はいつ健康を損ねるか分からない。
今のうちに母に習い、文化を引き継ぎたいと真剣に思うようになりました。そういう環境に生まれたのだから、それも使命かなと思うのです。
月一回ずつでも実家に通い着付けの稽古をして、最終的に人にも着付けができるぐらいになったらいいなあと思い、着付けの稽古を再開です。

ただ自分で着るだけだったら今でもできます。
でも、着物はいつどこで何を着たらよいのか、決まりごとが多い。
紬、絣、絽、紗、ちりめん、染めの名前、織りの名前、名称の意味を覚えるのも一苦労です。両親が着物の専門用語を日常話す環境で育ったので、名称自身は知っていても正確な意味を知らないのだと、つくづく思いました。

染めも織りも日本各地に名産があります。
大島紬、小千谷紬、黄八丈、紅型、越後上布、能登上布。
かつて日本の地方は色とりどりの名産を持っていたのだと気が付かされます。それが今、廃れてしまっていることが、世界の中で固有の文化がなくなっていくことと同じように悲しい。

家紋の見本帳、染めの見本帳など、呉服の専門書も実家にあったので、絵本のように小さいときから見ていました。大人になって、久々にじっくり見ると、日本の伝統デザイン大胆さ巧緻さを感じてドキドキしてきます。

伝統は緩やかに変化していくけど、何百年、何千年という年月を人々が引き継いできた時の重みは、その伝統の端にある私に深い精神的安定を与えてくれます。
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4月22日 生きるために野に出よう

 以前から野菜ぐらい自分で栽培できなければと思っていました。
せっかく一軒家を借りているのに、雑務に追われ、鉢でハーブを育てるぐらいで、庭を整備できずにいました。

 ジンバブエでは、都市部に暮らす人もみんな庭や空き地、道路わきなどにもトウモロコシやサツマイモを育てていていました。私も毎日水をあげたり手伝っていました。彼らは、経済危機が増すにつれ、道路わきの畑率が増すので、みんな必死に食糧確保しているのでしょうが。
しかし、日本だって、安全な食糧が手に入らなくなる未来が来ることは十分考えられます。状況が悪くなっても、生きていく強さがほしい。
今から、野菜の育て方を思え、農業が少しはできる人に成りたいと真剣に思っていました。

 他界した祖父が敷いた庭石をどけて、土をおこし小さな自分の畑を作りました。土は、足りなかったので園芸屋で買ってしまったし、母が余っていた化学肥料を蒔きました。あまり自然農法ではなくなってしまった。でも、植木鉢ではなく畑を作ったので、これから土を育てながら毎年植えていくことができるでしょう。自然の農法について、美味しい野菜の育て方などを友人たちと話せたらうれしいです。
今年は、サトイモ、しょうが、トマト、きゅうり、唐辛子を植えました。

 お昼から夕方まで費やしてしまったけど充実した心地が残りました。
 生きているという前向きなすがすがしい気持ちです。

 看護の仕事に絵にムビラ、日々は忙しいけど、掃除したり、料理したり、庭に出て畑の手入れをしたり、そういう生活することをちゃんとやれると今自分は生きているって、思えます。
 生活することを味わいながら生きて生きたいのです。
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