第5回 ムビラ修行記
2009年
1月29日〜2009年3月30日 

捨てられるジンバブエドル
◆クムーシャの暮らし

◆ポジティブ
◆スピリットからのメッセージ
◆捨てられるジンバブエドル

 Mailで連絡をしていたとはいえ、師匠パシパミレ一家は大歓迎をしてくれた。パシパミレは、同じhightfeeld だが、電気のなかったjelusarema の家から、oldhightfeeldに引越しをし電気がきて、ラジオやTVが見れた。昨年までの灯油ストーブで料理をして、夜はキャンドルの生活から一変した。6畳ぐらいの部屋に、師匠夫婦と8歳の娘ノメータと私で暮らすことになり、ソファーの隙間1Mぐらいの床に、ノメータと二人で寝ることになった。狭い。

毎日のように数時間の停電はあるが、水道は問題ない。コレラの流行が日本では大きく報道されていたが、ブゥリディロやチテゥンギザの一部で感染者がいるぐらいで、終息傾向だった。やはり報道と、現地の状況は違うといつも思う。
TVでは、「コレラに注意!」と手や食べ物を洗うこと、握手をするな、排泄は野でしないでトイレでしろなど注意事項をよく流していた。

jelusarema の家は、塀もなくセキュリティーがまったくない家で、夜7時も過ぎると外にあるトイレに行くことも許されず、バケツですることになった。今回の家は、塀で覆われ電気防犯ネットが張り巡られていて、安心して暮らすことができた。

私が到着した夜、師匠は自分のムビラと私のムビラにブーテ(嗅ぎタバコ)を置き、祖先に私たちのプロジェクトの成功を祈ってくれた。

2億%を超えるインフレーションの中にあるジンバブエは、50,000,000,000,000Zim$=1US$ぐらいのレートだが、昨年11月頃よりUS$か南アフリカRandが使用されるようになっており、昨年までのような闇両替をしにcitycenterに行く必要なはくなったが、多くの店で値段の差がなく、物価は大変高くなっていた。卵6個=1US$、食パン1斤=1US$ 、という日本に近い値段だった。
(写真 市場でのUS$でのやり取り)

2/2に政府はゼロを12桁切るデノミを行ったが、外貨を使っているので、まったく影響は受けなかった。ジンバブエは、2006年からこれまで3回のデノミを行い、ゼロを26桁切ったことになった。
困るのは、1US$以下のお釣りである。50centは、5Randに相当してまだあるが、20centなどはキャンディーやスナック菓子がお釣りとして渡された。昨年よりインフレ率は加速しているので、使えなくなって路上に捨てられるZim$札は目立った。しかし、昨年末から南アフリカより多くの物資が来るようになり、物は豊富に店に並ぶようになり、人々の生活は少し改善された。

学校では、教師達の給料がZim$払いで低すぎるので、教師がストライキをしていて始業ができない例が続いていた。師匠の娘ノメータの学校では、楽器始めに10US$の授業料を払ったが、追加で10US$要求してきた。そして、また追加1US$。こういう要求に応じられない家庭の子供は、学校に行けず、学校に行けない子が多くなっている。
(写真 要求された10US$を届けに学校に行った日。ノメータと教師)

ガリカイ、ブレ、アドマイヤーといったムビラ職人達は、相変わらず美しいムビラをゆったりと作っていた。私と師匠は、日本ツアーのための練習が、朝に夕に行われた。日本のVISAも飛行機のチケットも、問題なく取れた。
大きな青い空の下、師匠とゆったりムビラを弾く日々は、心地良くて、やはりジンバブエは愛おしい。


◆クムーシャの暮らし

2/13、週末師匠の生まれ故郷(クムーシャ)モンドロへ行った。日本ツアーを成功させるため祖先の魂の力が必要だと師匠が考えたこと、クムーシャの兄へ食べ物を定期的に届けることが目的だった。

モンドロまでは、ムバレのバスターミナルからバスで、クワリタウンシップ前まで行き、それからは3、4km徒歩かスコッチケルトだ。

クムーシャでは、84歳になる兄夫婦が住んでいて、食べ物、服、靴などを届けた。クムーシャでは、サザ粉(ミルミール)がなかった。USAからの寄付のbauger raiceを食べていた。
このバウガーライスは、煮てピーナッツバターを混ぜて食べるとすごく美味しい。昨年のほうが、食べ物がなくて困窮していて、今年になって寄付の品物が届くようになり、少しは楽になったそうだ。

牛を追い、メイズが青々と実り、グランドナッツ、豆、グァヴァ、マンゴーなど豊かに感じるが、現金収入の少なさは厳しく、都市の家族に頼っている様子を感じた。
井戸から水を汲み、焚き火で料理をし、入浴もトイレもメイズ畑の中でし、夜の星々の美しさ。自然に包まれている幸せを、クムーシャを訪ねる度に感じる。

師匠は、よく話してくれる。師匠の子供の頃は、皆動物の皮のふんどしを着けるぐらいで暮らしていたのに、この50年ですごく変わってしまった。独自の文化を維持していた頃、曽祖父は、雷さえも止められたし、雨も呼べるぐらいに強いスピリットを持っていた。ヨーロッパ文化にショナの文化は破壊され、今の若者の心は乱れてしまっていると。


◆ポジティブ

3週間ぐらい、上瞼がピクピクとするそうだ。それはショナでは良い兆し。夢で多くの日本人に歓迎されるところを何度も見る。祖先の魂は、私達に成功の扉を開いていると自信たっぷりに話す。私の方は、日本ツアーに多くの不安を抱えているが、彼は全く不安を感じていない。ジンバブエの人々は、物事を良いほうに楽観的にいつも考えすぎて、もう少し慎重さがあってもよいと日本人である私は思ってしまうが、この楽観主義が彼らの力なのだと思う。

私と師匠は、複数のムビラ職人の違ったチューニングのムビラを並べ、演出に適したムビラと曲とチューニングを試す練習が続く。週2回ダンスを教えに、babraが来るようになった。過去の先生達より、手や姿勢の位置をよく教えてくれる。

2/11、MDCのチャンギライが首相になり、1980年から続くムガベ大統領の独裁は一応なくなっり、歴史的転機を迎えた。3月に入り公務員のサラリーはUS$払いになった。
すぐ紙くずになってしまうZim$ではなく、US$払いになり、銀行口座も引き落とし制限なくUS$が使用できるようになったので、銀行ATMの前の行列も消えた。食パンも1US$で2斤買えるようになり、物価が僅かだけど下降傾向になった。
「ムガベとチャンギライが手を携えて、この国を生まれ変わらせる。今、スタートが切られ、ゆっくりと豊かな生活に戻っていく。」と皆が話す。そんなに簡単に経済が立ち直るとは思えないのに、人々は明るい未来を見ているのだ。
2006年から2008年の3年間は、本当に酷い生活だった。しかし、1980年代の豊かさを知っているから、人々はあの頃に戻れる力をこの国と民族は持っていると信じているように思った。
(写真 ムガベのポスターをもつムガベ支持者)

それにしても、毎日停電する。停電で、急遽灯油ストーブが必要になり、師匠の妻バイオレットの機嫌は悪くなる。停電が解消されると、町の子供達がワーと歓声をあげ、人々がラジオを大ボリュームで流し始めるのですぐ分かる。

初めてハイフィールドで断水が起こった。次の日3/6、日本ツアーの成功を祈ってムデ兄弟を呼んで祖先にムビラを捧げるパーティーの予定だったが、どうにか直前で断水は解消されパーティーは行われた。停電、断水と、この国の都市生活はいつも振り回される。
祖先は、子孫の幸せを願っている。いつも子孫の行いを見つめている。家族に与えなければ、自分達も幸せを受け取ることはできないと、師匠は教える。私もムビラを弾き、ホーショウを不利、みんなと食べて、飲んで、踊り、歌い楽しんだ。

同じ日、首相になったばかりのチャンギラ首相夫婦を乗せた車が、モンドロ-マシンゴロードで交通事故に合い、妻スーザンが死亡し、チャンギライも治療の為、南アフリカへ運ばれるという事件が起こった。
チャンギライ暗殺の陰謀説は流れたが、町はMDCの支援者によるスーザンの死を嘆く歌は響くが、暴力などはなく平和だった。
3/9、チャンギライは帰国した。その日、私は買い物をしにムバレムシカ(ハラレの大市場)を訪ねたが、ムビラの儀式のようにムビラが演奏され、人々が踊っていた。
スーザンの死を嘆き、追悼の儀式だという。明日は、皆チャンギライと共に、スーザンの墓へ行き、共に故人を偲ぶという。
MDC支援者が熱くスピーチしていたが、ZANU-PFやムガベを非難することもなく、「新しいジンバブエの為に私達は団結して進まなければならない」と、前向きな発言だった。
暴力、争いよりも、穏やかに辛抱強く、自分達の持つスピリットの力を信じて誇り高い、ショナ族らしい姿だと思った。私も、彼らと共に踊り、歌い、酒を飲んでこの追悼式に加わり楽しんだ。
(写真 踊るムバレの人々。ンゴマを叩く老女)

しかし、ある日、oldhightfeeldの家の前の教会でMDCとZANU-PFの集会をやっていて、警察が人々を追い払う為催涙弾を投げた。人々は大慌てで私達の家に逃げて来て、庭にいた私も巻き込まれて、涙と鼻水で酷い目にあった。ジンバブエの政治は新しい扉を開いたが、まだまだ不安定だ。


◆スピリットからのメッセージ

3/20の週末は、師匠と共にクムーシャ、モンドロへ日本ツアーの成功を願って、祖先のムビラに祈るために行く予定だった。

そんな折、2001年に他界したエファット・ムジュルの娘が精神的病になったという話が舞い込んできた。アメリカなどで有名になったエファットに嫉妬したものが、エファットに呪いを仕掛けて殺したという噂がある。
沢山の遺児を抱えて困窮するエファットの妻エミリーのバティックを私も少し買って生活を助けていたが、最近アメリカから多額の送金があった。エミリーは、そのお金で家具を買い換えた後、親族を招いてパーティーを開いた。その直後の娘の発病だったので、「誰かの嫉妬によるものだ」と師匠。娘は、曽祖父の話をしたり、知りもしない昔の話をするという。ナンガ(呪術師)の治療を受けているという。「エファットが娘に降りてきたんだ。そのうち誰かエファットを殺したか語るぞ」と師匠は言っていた。
(写真 草原で踊るアポストリー信徒 キリスト教の一派)

2000年に師匠パシパミレはアメリカへの演奏旅行の予定があった。その出発2週間前に、不自然な交通事故で怪我をしていけなかった。それも「自分に嫉妬したものが、呪いを仕掛けたんだ。」とのこと。エファットの娘の事件と、自分の過去を思い出し、「クムーシャのものが日本ツアーのことを知って、呪いを仕掛けるかもしれない。今はクムーシャに帰らないほうが良い。」と家族内で話されるようになった。
こうして大事を取って、クムーシャには帰らなかった。

エリカは日本人だから、呪いの怖さを知らないとよく言われる。
この国には、市場には必ずナンガ(呪術師)のコーナーがある。魔女(ムロイ)も存在していて、皆怖がっている。科学的なこと以上に、スピリットの力を信じている。
それはとても大切なことのように思う。


今回のジンバブエ、ムビラ修行は、日本ツアーの為の練習に費やされた。
ニャマロパチューニングのA、B、Cチューニング、、ガンダンガチューニングと、その曲に会わせてチューンニングを変えて表現していくことを学んだ。
師匠は言う。「最初の7、8年は、5、6曲しか教えてもらえなかった。多くの儀式に参加して、ゆっくり曲は増えていって、いろいろなアレンジを覚えて言った。弾いているうちに、急に昔のアレンジを思い出したりする。この楽器は深いのだ。経験が必要なんだ。」

この楽器の持つ美しい力は、はるかに深いのだと思う。
道ははるか遠くまで続いているのだと、思った。