第1、2回 ムビラ修行記
2002年〜2003年


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ジンバブエ初入国
 2002月8月、初めてジンバブエに入った。日本を出て一年が経っていた。
 首都ハラレの日本人が良く使う安宿「パームロックヴィラ」で、多くの日本人がムビラを習うために長期滞在していた。ムビラは小さい楽器だし、これから西アフリカへと旅を続けようと思っていたので、旅のお供に丁度良いと思って、市場ムバレムシカでまず一つ目のムビラを買った。
 
宿のそばに「ブックカフェ」というライブハウスがある。宿にも出入りしていたムビラの行商といった感じのカンガフライが、毎週ソロライブをしていた。幅30センチ以上もあるキーの多い大きなムビラ
を、彼は早く弾き軽快に歌った。ポップな彼の演奏は心地よく、宿で彼が行商に来たとき、ピックアップのついた彼のムビラを買った。

 完全にムビラに惹きつけられたのは、「ブックカフェ」でステラ・チオウセを見たときだった。ヨーロッパで活躍する彼女が本国にいるときは少ない。太鼓、ホーショウを従えた老女が、黒いマント風の服を着て、杖を振り回し、ドレッドの長い髪を振り回し、踊り、歌ったと思うと、席についてムビラを弾き始める。誘われるままに私も踊った。彼女の歌は、魔術のようだった。その夜、私は興奮してよく眠れなかったことを覚えている。あの時、ステラ・チオウセが何者なのか知らなかった。貴重なものを見た、とムビラを良く知ってから思った。



ムビラの儀式
 次に私をムビラ世界へと誘ったのは、ムビラメーカー、ガリカイの家での儀式だった。
 初めてハラレの隣町、ティチゥンギザのガリカイ家へいった。その儀式は、ガリカイさんの親族が病気になり、厄落としのような意味合いの儀式だった。
 日が暮れた頃、何が始まるのかと思いながらガリカイさんとその息子や弟子たち6名ほどの演奏隊の後ろに座った。彼らのムビラは早すぎて指が見えない。耳元でホーショウがガシャガシャはじけている。ガリカイ氏は歌う、彼の息子がバックコーラスをする、周りの人々も歌い、手を叩くもの、踊りだすもの、叫び終えをあげるもの。一気に祭りの雰囲気になった。
 ムビラ隊の前に、今日の主役たち厄落としの人が2人座っていた。二人は次第に振るえ痙攣し。吠え出した。初めて憑依された人間を見た。周囲の人は、彼らに黒い布をかけ、杖を持たせ、背中を摩っていた。この晩、この2人以外にも、トランス状態となり痙攣する女性など何人か同じような現象が起こった。
 演奏は止むことなく、朝まで続いた。途中で何度か眠気に陥ったが、夢の中までもムビラの音とホーショウの刻みが入り込んできて、私を宇宙的な世界へと連れて行った。朝が空けても、私は味わったことのない恍惚感の中にいた。
 ガリカイさんの奥さんは霊媒師だ。朝方、アラブ人の男性が彼女の守り神であるため、アラブの衣装を着けた奥さんが、人々にお告げを告げていた。


2度目のジンバブエ
 ジンバブエでお決まりのビクトリアホールズ、グレートジンバブエなど観光をし、モザンピーク、南アフリカと周り、私は一ヶ月間日本に一時帰国した。再度、アフリカへ戻ったとき、ムビラの世界をもう少し味わってから旅を続けようと、ジンバブエへ再び入国した。
 その当時のジンバブエは物価がとても安かった。一ヶ月150US$以下ですましたという、長期滞在者がいたほどで、日本人滞在者も多く、ムビラもあり、不自由ない居心地よい空間があった。
 まず、ムビラを宿に教えに来ていたルケン・パシパミレ先生に習った。私は音楽に疎かった。聞くのは楽しかったし、周りで一緒に歌い踊るのは楽しかったが、弾きこなすことは辛抱がいった。また、そのころのパシパミレは男性としてギラギラしていた。セクシャル的な発言も多く、不愉快に思うことも多かった。パシパミレから習うことは、そう長くは続かなかった。


郊外の儀式
 ハラレ郊外の民家で行われた法事にあたる儀式に参加できた。宿の日本人10名ぐらいが参加したが、彼らはうれしそうだった。聖なる彼らの伝統に、外国人を招き包み込んでしまうところに、彼らの懐の広さを見る。
 儀式は、2台のムビラ、2台のホーショウ、ダンサーが音楽を作り出していた。彼らは神聖な衣装だという白と黒の服を着て、壺の絵が描かれていた。ダンサーの女の子は二人は、跳ねながらリズムにのり、かわいらしく躍動的だった。ガリカイ家より土着な雰囲気を持っていた。
 狭い部屋の中、ムビラが奏でられ、人々は一晩中、踊り、歌う。ムビラの音によって、祖先の霊は霊媒師に降りてくる。私が会った霊媒師はヒョウの毛皮を羽織った老人だった。ムビラが止み、厳粛な雰囲気となった暗闇で、老人は体を震わせ恍惚とした表情になり、祖先の魂を自分に降ろして集まった人々に語りかけた。参加者はそのメッセージに真剣に質問などしていた。その儀式で、霊媒師の老人は私にハリネズミの小さな固い毛をくれた。「これはあなたを守るだろう」といってくれたので今でもそれを大切にしている。あの時、暗闇の中でハリネズミの毛が光って見えた不思議さが忘れられない。



旅の終わり
 ハラレでの生活は居心地がよく、私は厳しいアフリカの一人旅に再び足を踏み入れる勇気を失っていた。
 帰国してからムビラ・ジャカナカを名乗るマサとも出会った。彼が連れてきたラザラスという青年から、歌とホーショウを習った。ホーショウは思いがけず私を夢中にさせてくれた。
 毎晩、10名以上の日本人の仲間とムビラを囲んで、奏で、歌い、語り合い、合宿生活のよう共同生活だった。ムビラという文化を共有するだけで、ジンバブエ人と親密に交際できた、日本での背景はぜんぜん違うだろう日本人同士がひとつの家族を作れた。ムビラの儀式のように、主役も脇役もなく、みんなでひとつの空間をつくり、精神世界を尊び、平和で自由で穏やかで、そんな暮らしは日本ではできないだろうかと思い始めていた。これ以上旅する意味を見失っていたが、日本に帰る意味も見出せなかった。
 そんな迷いからか、2月末チマニマニ国立公園でトレッキング中、大怪我をした。そして、どうにか首都に戻って、日本に緊急帰国となって、私の世界放浪の旅は終わり、日本でのムビラとアフリカを伝える旅が始まった。